が翅をバタつかせるような音をさせて、とても耳障りだと眉を顰める。

ボクは大の昆虫嫌いだ。

幼い頃は当たり前にように蜻蛉や蝉を捕まえたものだが、いつこんなに虫が苦手になったのか記憶にない。

夏休みの自由研究ではピンセットや針まで使って、乾燥させた標本なんぞを作っていたほどだが、今はそんなことも怖くて仕方がない、当時の呪いなのか・・・。

TVを観ていて、何処だったか、植物園の中にたくさんの蝶を飼育しているところがあった。

訪れた家族連れが自分に纏わりつく蝶をまるでアクセサリーのように身に着け自慢げにビデオ撮影なんかしていたけれど・・・。

昆虫の撮影ならマクロレンズと言いたいところだが、ボクは400ミリ以上のレンズを使うしかない、だって襲って来られたら最後、失神だもん(まさかね)

出来る事ならこちらには近づかないでおいてください。

そんなことを涙ながらに懇願しながら、さっきからブンブン鳴っている翅音に脅え、ボクはずっと丸くなったままである。

目を開けるのが怖いのだが、その音があまりにも規則正しく聞こえてくるのに気付いて突然に目覚めた。

携帯電話を使って合せていたアラームのバイブが、枕元で作動していたのである。

ボクは慌てて起きだした。

今年に入ってからというもの、今までより一時間近く早めに起床しなくてはならない。

実はこっそりではあったが、転職をして勤務先が横浜になったのである。

頭の側面にゼリー状のものが貼りついたような気怠さがある。

朝なんて、誰もがそう感じるのかも知れないが、少なくともボクは朝に弱くもなかったし、目覚めだって悪くなかったし、・・・と。

しかし、歳を取って寒さに弱くなってしまったようだ。

毛布だけは放したくないという思いで、ミノ虫みたいにズルズルとしている。

「オレハムシダ・・・・」

窓を開けて空気を入れ換え、暖房のスイッチを点け、煙草を脳で吸っている。

出発前のアイドリング。。。。

本当は二・三か月何処かに旅へ出掛けるつもりだった。

海外、それでも時間がなければ国内でもいい。

何処へ行きたいという希望もなく、要は現実逃避のようなもの、何処でも良いのだ。

いつだって何かの間に挟まれながら生きてきた。

人間であれ、思いであれ、底では誰にも愚痴らずに表面上、平静を装う。

そこに生まれるのはストレスという名前の卵。

毎日、東京駅の新幹線ホームを見ながら旅に出たいと孵化を感じている。

でも思うばかりで、現実的には思う通りにはならない。

それは長い人生の中で常に感じることでもある。

歳を重ねると時間が過ぎていくのが速く感じられる。

もう長くもない人生だと考えると、焦燥という鏡に映った自分が昆虫の顔をしていた。

く色をつけていくような空気が心地良い。

彼岸を過ぎれば肌で秋を感じることが濃くなって、ボクは草むらの虫のように元気になったりする。

静まりかえった雨景の中で、各地でも秋祭りが催され始めるとやはり秋本番という雰囲気もするのだが、正直なところボクはさほどお祭り好きではない。

お正月の初詣、真夏の華麗な花火大会、地元のディズニーランドさえも貸切りで独り占め出来ればもっと愉しいに違いないと言う我儘ぶり!

要は人が多く集まる場所が苦手なのである。

故郷を思うと幼少の頃の想い出が返って来る。

福岡の祭りでは、五月の博多どんたく、七月の博多祇園山笠が有名であるが、九月には放生会(ほうじょうや、と読む)という祭りがある。

もう久しく出掛けてはいないのだが、市内の東の方に位置する筥崎八幡宮という大きな神社で催される秋を告げる祭りのひとつなのだ。

その放生とは字の如し、生きものを放すことで、殺生を戒めると言う意味の仏教の教えの源らしい。

放生会の行事も盛大なのだが、そこに並ぶ露店の数は並大抵のものではない。

それがある意味でメインのようなお祭りである。

各地方の祭りと同じように並んでいるのは焼きそばとか綿飴とか、それにお化け屋敷や見せ物小屋(狼に育てられた少女とか、河童男とかいうアレ)など。

しかし、放生会の露店の中でボクが一番印象深いのはヒヨコ釣りである。

中州で有名なうなぎ釣りやあまり聞かない亀釣りというのもあったが、(今はあるのかな)ヒヨコ釣りは糸の先に粉と水を混ぜて丸めたような餌(うどんかも)を付けて、それで釣ろうというもの。

屋台の中に囲われたスペースのたくさんのヒヨコさん達は煩いくらいにピヨピヨと餌を求めている。

「お〜い、おまえたちは世の中にだまされているのだぞ、うまい話にゃ裏があるんだぞ」と教えてあげたくなる。

勿論、客人が釣ったヒヨコはお持ち帰りが出来て、紙袋に入れてくれるのだが、ねぇ、お宅でちゃんと育てられるの? 放生してないんぢゃ? と思ってしまう。

そう云えば、小学校の頃に校門の前で何やら怪しいオジサンがカラーヒヨコなるものを売っていた事があった。

ただ単にナチュラルなヒヨコに赤やら緑やらのスプレー・ペンキで塗っただけのヒヨコである。

しかし、怪しいジジイ曰く、大きくなれば赤いニワトリが・・・などと子供だましをしていたのだ。

勿論、純粋なトモノウですから、ご多分に漏れずそれを信じ、太一郎爺やんに貰ったお小遣いで買って帰る。

普通は次の日に死んでしまったりするものだが、明治生まれのトモノウのチトセ婆やんはすごかった!

ヒヨコがニワトリになるまでちゃんと大きく育てたのだ。

勿論、色は白になったよ。

それで、大きなニワトリになったらどうするのか? 

現代の甘っちょろい人間とはさすがに違うね、

食べるのだよ・・・。

ボク自身は肉屋の鶏肉以外は食べ物でないと思っているから食べる事は出来なかったけれど、やはりそのヒヨコちゃんには情がうつっていた。

子供心に涙が出た記憶がある。

秋はいろんな感受性が深くなり、美しくなり、凛々しくなる季節だと思う。

ボクの一番大切な季節でもある。

秋の気配はビタースウィート、やがて来る冬の予感が心の姿勢を正しくする。

白い吐息が現われはじめて、ふいとした日に雪が降ったりする。

そんな景色を描くだけでも内面が浄化される気分になる。

いで皆な一緒にカラオケなんかへ出掛けると大御所のようにマイクを渡され、70年代フォークとジュリーしか唄えないボクを捕まえて、口を揃えてこう云われる。

「色気のある大人のヴォイス!」

トモクロのライブリポートなんか読んだのだろうな、若人はそうやってボクをからかう。

はっきり言って歌は下手だと自分で思っているくらいだから、色気と云われても、正直言って何処の色気だと自分では何も判らないのが正直なところだ。

だから意識をしていない“男の色気”をここで自ら語ることなど出来るわけはない。

では、“女の色気”はどうなのだろう?

勿論、人それぞれに感じ方は違うのだが、いわゆるホステスさんと呼ばれる方々は、色っぽい、という形容詞が付いているイメージがある。

それも銀座あたりの高級なお店のママだったりすると一層その度合いは上がっていく。

男は基本的に鎗田賀留男の異名を持っているものだが、なかなか落とせない女性であればあるほど色気を感じるのではないかとこっそり思う。

その理由としてコスチューム・プレイの例がある。

それらはセーラー服であったり、婦警さんであったりという定番で、そんな知性的な雰囲気があればあるほど、鎗田クンはとても色気を感じるらしいのだ。

似非写真家として、外見のことを云わせてもらうと、露出度が高ければ良いというものでは決してない。

大きな胸の谷間でも、とっても短いスカートでも、それを纏えば、色気が出るというものでもないのだ。、

やはりライン・バランスが大事なので、それがその人に合っていなくてはならない。

「お前、女性の何処を見る?どんなとこでドキドキする?」

同僚のNに質問すると

「やはり眼ですね、髪も大事です」

ふ〜ん、ツヤつけとる・・・

先に述べたようにバランスが一番大事なのだが、個人的な好みのパーツで言えば、ボクは脚フェチのようである。

既に夏である東京は露出しているが、今年も足首に弱いかも知れない。

そこにアンクレットなんかぶら下がっているとドキドキしてしまうあれは何であろうか?

もしかしたら縛りたいのか縛られたいのか、そういった奴隷的なイメージはあるけれど、心理学的には何か指摘されるところなのかも知れない。

最近は、コスチュームジュエリーと言ってストッキングに付いているのもあるようだが、やはりボクの中ではアンクルタイプのサンダルにメロメロしてしまうようである。

逆に許せないのが、サンダルの後ろの紐を踏んづけてミュールのように履いていらっしゃる方々、

あれはなーに?お言葉ありません。

暑いからなのかしら?しかし、暑いのだからとパンツ一丁で歩いている人は居ないし、やっぱり決してセクシーなどではない。

話の成り行きだが、電車内で化粧をする女性たちはオヤジの小言のトップである。

あれは男としてはあまり見たくはない光景のひとつであるが、そもそも誰のために化粧をするのか疑問に思う。

これから逢う恋人?

それは結構なことであろうが、ボクらもキミに逢うのが嬉しいのだからお化粧は自宅でやってきてもらえるとイイな。

そんなのだったらスッピンのままのキミの方がずっと素敵!

一般的にトイレのことを化粧室と呼ぶけれど、レストランの食事がまだ届かないからと言ってその場で化粧をする人はいないと思うし。

社会において羞恥心がなくなってしまうと、それが若さだとか個性だとか思い込んでしまう人も少なくない。

電車に絡めていうなら、ポリポリこぼしながら何かを食べている人、混み合っていても床に座り込んでいる人、それと濃厚なキスを延々と続けているカップルさん。

色気ないなぁ、と思うのはボクだけだろうか?

まさに色気なのだから、色が大事である。

どんな色にも融合するのはやはり、ホワイト。

これをデザイン的に汚してゆくと色気が生まれる。

それをさりげなく魅せるのが色気である。

え!無垢なあの方が・・・・と。

男の勝手な言い分、故にお許し願いたい。

と聞けば牛、豚、鶏というブチ・トリオがあるけれど、どれが好きかと訊かれれば「みんな好きです」と言ってしまう。

そう、料理によってそのものの旨みってのがあるのだから、やっぱり答えることは出来ない。

以前、何人もの恋人が居たことが発覚し「いったい誰が本命なのですか?」の質問責めにあう芸能人がいた。

その方は「みんな愛しているんですよ」と真顔で答えていたから、それってそんな肉話みたいなものにちょっと似てなくなくなくな〜い?

似てないな・・・・

ボクの周りの大半の人間が肉好きで、たまに社長が顔を出していたりすると、「何食べたい?」の質問につい「焼肉!」と叫んでしまったりするけれど。

それに合わせると、「どの娘がいい?」の質問に「3人とも!」と云っている(クドイ・・・)

BSE問題なんて何のその、肉は何故に人気が高いのだろうか?

そう、実はずっと勘違いをしていたことがある。

俗に、「男と女がふたりで焼肉を食べに行くカップルは出来ている!」と云われるらしい。

ボクはこれを、「カップルで焼肉を食べに行くと出来る!」と思い込んでいた(爆)

どんなふうに焼肉を食べると“イイコト出来るのかな?”

それはずっと解からなかったけれど、逆を言えば「下心が丸見えなんぢゃ?」などと好青年を装っていたものだ。

さて、なにかメインイベントが終われば「ご苦労さん!」と接待交際費で牛を食いに行く。

兎に角、「もう肉なんて一生食いたくね〜!」と言うくらい食べるので、それこそ牛のようにモーモーバーバーしてしまう。

こちらの画像、名前を特選ロース薄切りと呼ぶ。

お値段はたった薄切り3口これだけでなんと15900円也!

プライベートじゃまず食べられないし、食べないね。

んで、味は如何かと言うと、涙がチョチョギレルほどのものでもなかったよ。

話の種に食べましたということですが、ボクは主婦の店の牛肉こま切れの方がずーっと美味いと思った。

肉ばかり食べていては身体に良くないので、野菜も焼きましょうね。

おっと、最後に助言になるが、女性と焼肉屋さんに行けたとしても、それは今晩OKよ!というサインではありませんから!

968年12月10日、東京都府中市において東芝の府中工場従業員の冬のボーナス、約3億円がその輸送中に強奪されるという事件があった。

その後の真相は未だ謎に包まれたまま、昭和の事件簿のひとつになっている。

俗に「三億円事件」と呼ばれたこのミステリーは今でも映画や小説のモチーフとして使われていて、テレビドラマではTBSの「悪魔のようなあいつ」(久世光彦演出・長谷川和彦脚本)で最初に手掛けられ、時効成立の1975年に全17話で放送、主演はジュリーこと沢田研二という事件の犯人としてはあまりにも妖しく、それがゆえに見事に悩殺される。

共演には藤達也、荒木一郎、若山富三郎、篠ひろこ(看護婦役でどこに姿を現わすのにも白衣である)、大楠道代、那智わたる、浦辺粂子など、珍しいところでは尾崎紀代彦や伊東四郎、細川俊之などが顔を並べる。

実は先日、この「悪魔のようなあいつ」のDVDボックスセットを手に入れた。

放送された1975年のボクは中学生になりたての頃か、リアルタイムでこのドラマを母親とふたりで観ていた。

その時の衝撃を言葉ではうまく表せないが、心の中でこっそり<ジュリーになりたい>と思っていたに違いない(笑)。

原作は作詞家で有名な阿久悠、それが上村一夫の漫画で描かれ、TVドラマ化されたようだが、そもそも久世作品というのはロケではなくスタジオセットの撮影スタイルが有名で、「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」など数々のお茶の間撮影で名を売った人なのだ。

久世光彦さんは今年の三月にお亡くなりになられたが、今、このスタジオドラマを観ると、その昔、お正月に放送されていた「芸能人のかくし芸大会」の中のドラマ部門を思い出す。

セット撮影なんて当時はちっとも違和感がなかったのに妙なものだ。

それにしても現在、この手の映像を観ることはない。それはスタジオ撮影ということではなく、内容が超過激、放送禁止連発なのだ。

このシーンはマズイだろう?と思われるものが次から次へと映し出される。

再放送が一度もなかったというのも頷ける内容である。

まさしく70年代だな、と納得のボックスセット、結構いい値段だったけれど、鑑賞し終わって絶対満足!と呟いている。

沢田研二といえばグループサウンズ時代の代表格「タイガース」のヴォーカリストで、ソロになってからは歌謡界のトップに立ち、今で言うバンドスタイルやモード・ファッションにおいても、常に先を行きながらそれを創りだして来たスーパースターである。

若い人はジュリーを知らないだろうけれど、ボクは隠れジュリーファンとして(隠れる必要もないのだろうが、博多っ子は「ツヤばつけとろ?」と云われることを怖れている)このドラマの「加門 良」に憧れた。

まず、挿入歌として唄われていた「時の過ぎゆくままに」のドーナツ盤を買い、ギターの練習も始めた。

ボクが退廃的な音楽を好んで発表する理由は、この思春期に出逢ったドラマが大変に影響しているのかも知れないと密かに感じている。

ファッションにも拘りたかったが、当時の東京のスタイリストさんには敵うはずもなく、ジュリーの着ていた白いドレスシャツ、そこにサスペンダーというのがシンボルのように映ったので、まずはそれを真似てみようと思ったトモノウ少年だった。

しかしシャツは中学校で着ていたYシャツしかなく、本当はレース編みになっているアレが欲しいのに手には入らなかった。

あと、象牙のペンダントは絶対だったが、似たようなネックレスを母親も持っていなかったので千歳飴で造ってみたりする。

仕上げの最後に、ジュリーの持っていたパナマ帽なんてあるわけもないので、太一郎爺さんの被っていた「磯野波平ハット」を拝借して、斜めに被ってみる。

そして鏡に映してみれば・・・・・

全然違う・・・・。


それはやはりマヌケでしかない。

勿論、外を歩く勇気もないのである。(-。-)y-゜゜゜

♪ 行ったきりなら幸せになるがいい〜

―と帽子を飛ばしていたのはもう遠い昔・・・。

兎にも角にもジュリーはカッコいい!とそりゃ今でも思うのさ。

沢田研二がドラマの中で言っていた台詞

「三億円は俺の青春なんだよ!」・・・と真似てみる。

当時の三億円は今の時代のサマージャンボの3億円とは大いなる桁違いだろう。

<青春>という言葉は現代では死語になってしまった様子だけれど、ぼくらの時代には、確かに<青春>は生きていた。

青春ってすごいパワーがあったのだ。

歳を取ると何事も諦めるのが早くなるようで悲しい・・・。

若ければそれがどんなつまらないことであろうと、先が見えなくとも何かに向けて突っ走っていたのにね。

無論、今のように選択肢が多くはなかったから、コレシカアルメイ!なんてことで個性を探していたのだけれど、今は沢山ありすぎて、全てが曖昧すぎて、何と呼べば良いのか解からなくなってきている。

余談だけれど長谷川監督作品の「太陽を盗んだ男」という原爆を造る中学校の教師役のジュリーもオススメなのだ!

0を過ぎてからスポーツを始めるとヘルスメーターに乗る癖がついてしまう。

あんなに運動したのだから体脂肪も減っていい値、なんて思いながら食生活にも気を使うようになる。

新年は食べてゴロゴロしてまた食べてのくりかえし。ジムも正月休みなので、増量していくのは言うまでもない。

それが嫌なら自主トレでもするんだね。

お正月料理と言うと、おせちとかお雑煮などお約束が並ぶ。

それは地方によっても様々な食材の違いがあり、それを知るとまた面白い。

博多の雑煮のだしは昆布とアゴという飛び魚?で取る。

うす口しょうゆで整えて鶏肉、鰤(鯛でもいい)、椎茸、蒲鉾そしてかつお菜という青菜を入れるのだ。

勿論、餅は丸いよ。

それを木の枝で作ったお箸でいただきます。

あれが何だったのか調べてみたら「栗はい箸」と言う栗の木の枝だった。

それは見事に二本が揃っていなくて使いにくいのだけれど、一年間うまくやり繰りしてね、そういう意味らしい。

いろいろ考えるなぁ、という感想です。

さて、おせち料理は重箱に詰められるけれど、同じようにいろいろ意味があるのだとテレビでサザエさんが話をしていたのを覚えている。

数の子とか黒豆とか海老にしても金団でもそれぞれにちゃんとした願いが込められていて、一年間が健康に暮らせますように、と。

ボクなんか好き嫌いがほとんどないから美味しく頂けるのだけれど、願いをこめて食べたことなんかなかったなぁ

最近はデパートやコンビニなんかでも当り前におせち料理が売られている。

味の職人がとっても美味しく作っていて、決して安くはないけれど、そのせいでおせち料理が安っぽくなっていないかい?

手間はかかるけれどおせち料理って自ら作るのがお正月っぽくていいでしょう、なんて思ったりするのだ。

あと忘れてならないのが、全国でも有名になった筑前煮。

地元ではがめ煮と呼ばれている。

もともとは鶏肉ではなく亀だったらしいけれど(笑)

大晦日の夜になると忙しそうに台所に立つ母や祖母の姿を思い浮かべる。

豊かであったとも言えないし地味でもなかったけれど、よくつまみ食いをして怒られた。

二の重あたりの甘いものをそっくり食べてしまったりして、「なんばしよーとね!」と菜箸で叩かれた後、追い払われた。

でも人間は美味しい正月料理ばかりを食べていると、飽きた・・・と言ってカレーライスを作ったりしてしまうのだよね?でしょ?

ボクがこれまで生きてきて、一等美味かった物と言われても、いろいろあってその答えにも迷ってしまうけれど。

例えば「あなたが一番好きな食べ物を作ってあげるわ」と恋人に訊かれて、「ねこまんま」いわゆるかつおぶしご飯と答えてしまうボクはバカだ。

咄嗟の質問に弱いので、いい加減な男だと思われる。

「私の料理が食べられないって言うのね?」

彼女はそう言って泣きじゃくるに違いない

ただ忘れられない味というものはある。

----おふくろの味ってやつ。

ボクはバーちゃんっ子だったので、祖母の作る鶏のお吸い物が忘れられない。

薄口醤油のシンプルなものだったと記憶しているけれど、同じ味に出合ったことがないのだ。

自分で試したことはあるのだが、何か違うので諦めている。

たぶん、昔と今とでは味覚が違うのかも知れないな。

そうそう、先日、コンビニで「エースコイン」というビスケットをみつけたのだった。

実はこれボクが子供の頃に食べていたおやつで、当時は20円だったと記憶している。

板垣退助さんの100円札のお小遣いを貰うと、100円分のお菓子を買うのに必ずこれを入れていたから良く憶えている。

博多ではこういうビスケットを「歯グソ菓子」と呼んだ。

食べカスがたくさん歯に付くという理由からそう言われていたのだが、袋を開けると少年時代の香りがそのまま甦ってきた。

期待しながら一口食べてみたが、懐かしさを除外すればなんとも形容し難い味がして、そりゃ大人のワタクシが頂くのですから・・・と妙な納得をしてしまった。

今、世の中には美味しいお菓子が溢れている。

夢中で食べたのは時代の背景だったのだろうか。

いずれにせよ、つまみ食いはもっとも美味な食べ方のひとつだと思うし、やはり究極である。

つまみ過ぎてお腹いっぱいになりませぬように!

しかし、そういうことをここに書くと

つまんでいるのは料理だけか?----そんな事をいう奴がきっといるんだ

馬鹿者!グルメなトモノウが聞いてあきれるわい!

さてさて、そろそろユキコさんのところに行こう!

互いのことをよく知らないで相手を語ったり、自分のことを話してみたり、サイトの世界にいるといろんな方々とめぐりあったりする。

自己紹介などの場で、ボクはうまく自分を語れなかったりするそれは、ボクが自分自身を知らないからだと考える。

例えトモクロを覗いた人もこれだけでボクを理解するということは無理な話だろう。

生まれて今日まで生きてきて、いろんな人に出逢い、影響を受けた人もいれば、どうしても苦手な人もいた。

そんな過去の背景にボク自身が形成されて来た事は事実ではあろうが、それを語ったところで、それが何の意味も持たないことも承知の上だ。

「あ、わかる気がする、自分も同じことずっと思っていた」

そういう人が相手だと気の合う同世代的感覚がある。

「現実はそんなに甘くはないよ」

と返されれば、それもそうなんだけど、話がそこで終わっちゃう。

個人のサイトは相手の反応が楽しみで没頭することが多いと聞いた。

確かにお世辞でも反応の仕方で居心地が良ければリピーターとなるようだ。

そこでトモクロって何だろうか、と考えてみる。

ボクのアトリエ?

そういえば、ここはどういう言う場所なのだろうか・・・・。謎、謎、謎?

アクセス解析など取り付けていないからどのくらいの人がここを訪れて来られているのかボクにはわからないけれど、相変わらず好き勝手なこと掲げさせてもらっている。

最近は更新もおサボりちゃんで、ダラケテんなあ〜と喝!

猫舌も夏バテしていたので、久々に書いてみました。

 

愛するmomo*様

ワタクシのような若輩者が10,000アクセス目を踏んづけちまって申し訳ないです。。。。

Prison Hotel」にいつも足を運んでくださる旧き良き方々に白い目で見られているような (^^ゞ。。。。。

おめでたいことでありながらいけないことをしてしまったような複雑な心境でございます。

去年の年末頃に小説「Sigh...」のあとがきをお願いし、快諾していただいた感激を今でも忘れられません。

実はもう随分前から「Prison Hotel」は気になるサイトでした。

テキスト中心のあなたの視点はボクの中にはない角度だったのです。

その魅力を上手に語れるだけの文才はありませんが、10000回というアクセス数はその裏づけだなと納得しています。

ボクの処女作をそんな侍刀で切っていただけたら嬉しいな、と勇気を出してラブレターをお送りいたしましたが、切るどころかお花を添えてくださってありがとうの気持ちでいっぱいでした。

そして今でも仲良くしていただいて感謝しております。

暑中お見舞い申しあげます。

お忙しい毎日、お体には充分ご注意の上お過ごしくださいね。

 

 

 

ということで、記念のmomo画伯の絵画をいただきました。

ありがとうございます。

月からPCに向かうのは、自分にとってあまり好ましいことではないことのように思えたりする。せっかくのゆっくりのお休みなのだから寝正月とかコタツでミカンとか、普段はあまり観る事のないTVだっていいじゃないか、と感じる。

正月を故郷で過ごすということがあまりない。福岡に帰れば父や母が満面の笑みで迎えてくれる。一年の中で親子が過ごした日はもう半分以下になってしまった。

そんな故郷の両親に電話をしてみる。

「あけましておめでとうございます」

節目なのだからと丁寧にご挨拶させていただいて、日常生活のあーしたこーしたをお互いに老いたと笑い合う。

父は腰痛で寒くなったせいもあり、珍しく起きれないらしい。ついでに叔母も暮れにやはり腰痛で入院したらしい。2月の七回忌はとか、従兄弟の貴広ちゃんがとか・・・。

母は相変わらずバイクを乗り回し、あっちへ行っては喋り、こっちへ行っては同じ事をまた喋り、歩くKBC放送と言われている。

ボクはといえば、去年は前半にバタバタしたせいか息切れがして、一年間をトータルしてみるとなんとなく過ごしてしまったかも知れない。

仕事が忙しかったせいもあり、プライベートな時間もなかなか取れなくて、仕事ってーのはつまらん!そう感じて捨ててしまいたい気分でもあった。

鏡の前に自分を映し、また白髪と皺が増えたのだと人生の午後を感じたりする。勿論、絶対時間は幼い頃も今も変わらないはずなのに過ぎ行く時がとても早く思えるのだ。

志は高く、しかし行動は鈍くだけど、今年もまたあれよこれよと考えてはいる。

大事な時間。マイペースを捨てて慌てて走ろうというのではなく、ただ、無駄にはしないようにと自分に約束したりする。

白髪や皺を数えて衰えたと嘆くより、この歳にならなければわからない何かを感じることが出来るのだと、それを勲章と考えよう。

2005年、気持ちに負けませぬよう、皆様もお健やかにお過ごしください。

もそもクリスマスはその年の収穫に感謝をこめた冬至のお祝いをする日だったようですが、その後イエスキリストが生まれてその25日の日をお祝いする日になったらしい・・・。

ボクはクリスチャンではない、

生粋の無宗教だけど、街は宗教に関係なく「メリークリスマス!」と大騒ぎだ。

だから都会のクリスマスも田舎のクリスマスも頑張ってキラキラしていて美しい。

そんな中にいる恋人達は、至福の気分でロマンティック・トゥナイトを迎える。

普通は、やはり山下達郎のクリスマスイヴやユーミンの恋人はサンタクロースが聞こえてきて、間違いないと言われるティファニーのネックレスなんか用意しちゃって、西麻布のジョージアンクラブあたりでフランス料理?極めつけはホテルインターコンチネンタルのベイブリッジの見渡せるそれはそれは高級なお部屋を用意するのだろうが、トモノウな人は少し違う!

ポインセチアを車のトランクに並べて、BGMは特別に作ったファルセット・ヴォイスのスウィートソウルセレクション!

スタイリスティックス、モーメンツ、オージェイズ、オリジナルズ、ウィスパーズ、マンハッタンズ、テンプテーションズ、スピナーズ、ドラマティクス、デルズ、極めつけはスモーキンロビンソン&ミラクルズだ!

もっとマニアックな好いグループもあるけれど、「あ!名前くらいは知ってる!」と彼女に云われるくらいが良いでしょう!

車飛ばして数時間、澄み切った空の中にキラキラ輝くイルミネーションではない星を見渡しながら、リゾートホテルとかもっとプライベートを感じることが出来る離れ宿なんていかが?

スキーなんかしなーい!いえ、出来ません。

やっぱ、温泉ね。それと豪華な懐石料理をいただきたい!

ワイワイ騒ぐのが苦手なトモノウな人は、今年一年の疲れを、そして来年に向けての活力と、んーなんて素敵なのでしょう!

今年のクリスマス。

インフルエンザに侵されたと大騒ぎして病院に行きました。

「只の風邪です」と笑われました。

毎年、こんな調子で過ごすことになってしまうクリスマスはトモノウ的寂しさ・・・・。

しかし、それは予定通りやってくる。

猫のように身体を丸め仕事を終えたその日、 「きっと来るよなぁ」と予感はしていたから覚悟は出来ていたけれど 次の日の朝、赤紙は届いた

「今年の風邪はシツコイ!」

毎年、同じ名文句の中でボクは今年も宇宙へ!

志願もしていないのにパイロットとして旅立つことになったよ。

その空間は39度ぎりぎりの熱を引き起こし、 記憶の風景がちぎれるようにすごいスピードで通り過ぎてゆく 。

何時間眠ったのか、 いや何日眠ったのか気が付くと夜中だったり昼だったり、でも次の行動が出来ないのでまた倒れてしまう。

いろんな夢を見た。

あまり覚えていないけれど 怖い夢ばかりだった気がする。

ライブの全員リハもあと数回だし、根本的にアレンジし直しも迫られたし 、頑張らなくては。。。。

でも風邪の回廊の中にいる時ってーのは 好きなことも出来ないのだとつくづく感じた 。

ピアノの前に座る気もしない、 ブランケットに包まれて声を出す。

出ない、面白いように出ない!

思わず笑ってしまう。

もんたよしのり、みたいなハスキーボイスで、 今度演奏する「JILT」なんか出来るつもりでいたのに・・・

おー、トモノウさん風邪ひいて味のある声色にでもなる?

なるか!馬鹿モン!

そんなお気楽な話ではなかった。

ボクの扁桃腺は大きく腫れ上がり声さえも奪っていたから。。。。

それよりも熱が下がらなかった。

あー、もうダメかも知れん・・・

そんなことを思ったりしながら、 急にすっきりした感じで目が覚めると、 「きっと最期だからなのだ」と弱気になっていたり・・・

あまりに咳が止まらないので、 「肺炎かもよ」とその道のお方に言われたりする。

何だかまだ熱の中にいる気分・・・・

おやすみなさい

ごきげん宝箱の扉を開けたらアタリが出て宝物を頂いた。

福岡在住のルナさんからだ。

ルナさんは僕の実家の近くにお住まいで「これも何かの縁でしょう!」と仲良くしてもらっている。

福岡と夏の関係はやはり水不足の話に尽きる。

今年は去年とは打って変わって真夏日も更新中!

それって80年代に入った頃から毎年のように心配していたのではなかっただろうか?

水道局の人が節水コマっていうのを取り付けに来ていたのを覚えている。

「チョロチョロしか水の出らんけん、好かーーん!」

真夏日と言うのは30度をこえた日のことを云う。

幼い頃は30度なんかこえた日ってあんまり記憶にない。

「夏休みの友」という宿題帳があった時代の僕だから、朝顔だってちゃんと育てたし、気温だって石橋畳店でもらった木の温度計で見ていたからね。

太一郎爺さんは夕方になるとお庭に水撒きをしたもんさ。

当時は井戸水だったので水不足がどうこうなんて話はなかった。

虫の鳴く音と蛙の鳴く声が妙に似合っていて夕涼みの時間はゆっくりと夜を迎えていく。

勿論エアコンなんか無かったよ。

扇風機はあったけどリボンが付いていた。眠る時だって一時間だけと決められていた。

昔は窓を開ければ、涼しい風が吹いてきたもんだ。

部屋では蚊帳を吊るしてキンチョウ蚊取り線香だったね。

ルナさんも言ってたけど夜口笛を吹くと蛇が来るんだって!

子供ながらに口笛を覚えたばかりで、新谷のり子の「フランシーヌの場合」を吹いていたよ!

でも窓を開けているからやっぱり怖かったね。

蛇なんかその辺にいっぱい居たもの!途中から口笛をやめて小さな声で唄いました。

フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えた命ひとつ フランシーヌ

(ここのフレーズしか覚えられなくて、リフレイン)

 

のどかな土地も今は東京とあんまり変わらんようになりましたな。

僕の小さい頃の思い出も大事な宝物!

そして、一期一会。

で、13,000ヒット!ルナさんおめでとう!そしてありがとう!

ターを始めたのが中2の時!後期のフォーク世代である。

周りの友達はみんな吉田拓郎が好きだった。

でも僕は井上陽水のあの世界を好んでいた。

ピアノは中3から!

チューリップが好きだった。

「心の旅」という曲を練習して弾けるようになり、天才ピアニストの気分でいた。

ヴォーカルは40代デビュー!

カラオケでもあんなに長い時間を唄い続けたことはなかった。

反省ばかりであった。

オリジナルは楽器を持ち始めた時からすでに創っていた。

ここでいう作曲はすぐに出来たが、作詞の作業にはずいぶんと時間がかかった。

それは今も同じ。

言葉で何かを伝えるのは容易なことではないことは今でも思う事。

そんな中に旋律が加わるのだから、バランスが悪いと駄曲として捨て歌となる。

どんなに楽器や歌が上手でも、こちら側に伝わって来ないミュージシャンがたくさんいる。

それには理由があるのかどうか判らないけれども、確かに好き嫌いはある。

新しいものを求めたがるのが人間だから、時代のタイミングもあるかも知れないけれど・・・。

同様に飽きっぽいのも人間の特徴だ。

本当にワンアンドオンリーなアーティストは勝ち組!

それに甘んじることなく何かを求めているから、同じように第一線で活躍する姿にもリスペクト!

でも二番煎じはダメなの? 

それもやはりやったもん勝ち!だろう

そう、ボクが小説を書き始めた最初は、atsuko嬢と「Sigh....」という作品をコラボレーションしようとして半年が過ぎた。

彼女は夏を前にリタイアすることになったけれど、5月あたりから、メインキャスト同士が接触してきたことはご存知の方も多いだろう。

しかし、どう展開したらいいのかわからなくなってきたのも裏話の事実。

一番難しいのは、同じ空間に居る時。

台詞は同じでいいのだが、風景を描写するのがお互いに疎通が出来ていないと大変なのだ。

「ため息....」

それにしても、これって純粋に僕が考え企画したことだったのだけれど、こういうのって結構あるのだと後から知った。

江国先生と辻先生の「冷静と情熱のあいだに」もそうだし、<同じシチュエーションで男女それぞれの視点で描く問題作、二冊同時刊行!>

というコピーで「愛は嘘をつく (男の事情、女の思惑)」なんていう神崎先生のあれもあった。

やっぱりやったもん勝ち!・・・・か?

まあ、恋愛モノってこんなふうに展開していくのが、読者のウケがいいんだな。

知っているよ、そんなことぐらい・・・・。

ボクは凡才です・・・・。

そういや昔、ギターのボトルネック奏法を発見して、これは自分が考えたんだって思っていたこともあったしな・・・・。

まあ、いいか!

兎に角、12月まで頑張って書いてみよう!

水化物はエネルギーとなる。

ご飯やパン、誰かの好きな大福には砂糖が入っていて、とんこつスープのようなラーメンは濃厚で、もう油の塊。

そういう食物が炭水化物。これらの好きな僕はここばかりを摂取するもので、ブクブクになってしまう。

何でもそうだけどバランスが大事!ダイエットもここを抑えることが出来れば簡単らしいよ。

身体は血だって欲しがるから良質なたんぱく質も摂らなくちゃね。

まずは牛乳(のむヨーグルトもいい)、卵、それにお魚や肉類、お豆さんもそうだね。

でも摂ってばかりが良いわけではない。

それを最大限に活かして身体の調子を整えるならば、野菜(温野菜の方が良い)、海草、果物のビタミン豊富なものも計算してね!

ボクの母親の口癖は、「美容と健康のために!」

そう云われて何でも食べさせられた。

おかげさまで、好き嫌いはほとんどない。

でも幼い頃には嫌いな食べ物もあった。

そのひとつに「トマト」。

奥さん、知ってました?

血行の源になる黄色素「カロチン」と、赤色素「リコピン」が含まれていて、最近人気者なんだってね!

このリコピンってのが、注目の抗酸化物質で、人間の体に悪影響をもたらす活性酸素を退治してくれる科学物質なんだとか。(←お前は、みのもんたか?)

家族伝説によると、僕のばあちゃんの兄弟は皆、学者さんだったらしい。

トマトの栽培はメキシコが発祥の地らしいが、最初は観賞植物として育てられていたらしく、日本でのトマトの歴史もまだ100年くらいのようだ。

ばあちゃんの兄は農学博士で、当時はまだトマトが世の中に知られていない時代に畑で栽培し、ひいじいちゃんの秀吉さんとひいばあちゃんのフサさんは市場にそれを売りに出かけたとさ。

リヤカーに積んでひたすら長い道のりを運んだことだろう。市場では見たこともない食材に、

「なんかぁ?こんな野菜は見たこともなか!毒の入っとるかも知れん!」と敬遠される。

認知度がないということはそういうことだ。

結局ひとつも売れず。

持って帰ってきても仕方ないので、途中、川に捨ててきたというお話。

僕自身は、ある瞬間から何故トマトが食べれるようになったのか?

単純!それは好きな人があまりにもカッコよくブラッディ・メアリーを飲んでいたからだ。

ウォッカベースにトマトジュース、レモンなんか入れるカクテル。

名前の由来はもちろんイングランド女王メアリー1世だそうで。

顔を顰めて口にした。え?以外!美味しかぁ!

それから、トマトもトマトジュースも飲めるようになった。

そして愛にはすごいパワーがあるということも実感させられた

は気が強い方ではない。

音楽も仕事も、恋にしたっていろんなことで生真面目である気がする。

いつも一生懸命やっているつもりだから、それを批判されたりなんかすると結構傷つくのかもしれない。

パーフェクトでいられないのは理解かっているつもり。

でもパーフェクトを美しいと思うから、いつも頑張ってしまう。

パーフェクトを作り出す集中力はたくさんのエネルギーが必要で、 何が完全で、何が不完全なのかはこの際如何でもいい。

何処へ出掛けても自分の居場所がない気がするから、部屋に引きこもり、じっとしている。こんな雨の日はロックでもジャズでもないね。

追い込むだけ追い込むためには、「シェミッリ歌曲集 第40番」 J.S.バッハにもこんなに悲しい旋律があったのか・・・。

21世紀の世の中に生きているのだから勝ったの負けたの騒いでるのは普通。

それならば、希望は握りこぶしで天高く!不安をもろともせずに!

自分の中から滲み出てきた何かを

「おお!美しいではないか!」と自画自賛!

以前はマスターベーションで良かった時期もあったが、今はステージに立つ自分を褒めてあげなきゃ!

他人はそれを見てナルシシストと僕を呼ぶ。

「ヘイ!ストリップショーだぜ!ヘナチョコだけど、まだまだ萎れてないぜ」

僕は気が強い方ではない。

だから頑張っちゃうとすぐに疲れてしまうんだ。

でも生きていたいんだよ。僕は貧心かい?

そうじゃないだろう?そんなふうに感じるお前の心が凡なのさ!

僕は都会の雨で汚れたスニーカーをザブザブ洗濯した。

明日は晴れかい?

お陽様は顔を出してくれるかい?

ここにはね、ほら、太陽電池が入っているんだ。乾いた頃が満タン!

真っ白になったこのスニーカーを履いて僕はまた旅に出ようかと考えている。

眠暁を覚えず ―なんて言葉がある。

春という季節は世の中が年度始めや何かでいろいろと忙しく、疲労感は倍増するから、兎に角、睡魔が襲うのだ。

僕の睡眠時間は平均5時間位。42歳ともなればこんなもの?それはわからないが、確かに昼間は眠い。

「レム睡眠」という言葉がある。

脳を休める睡眠のことで、そうではない時は身体を休めているそうだ。

これを一晩で何度も繰り返すのが普通と言われている。

その睡眠中に夢を見るわけだけれど、僕の脳は如何なっているのか?

・・・・と言うのも、僕は結構、寝言を言うらしいのだ。

「そんなことは、ドラえもんだから」

「悪いけど、心臓を醒ましてみて」

「とりあえず、長靴に聞いてみよう!」

「あと1回だけだよ」

僕本人がどんな寝言を言うのか知らない。

はっきりはわからないが、これに似たようなことをいうらしい。

そして、こんな僕に話しかけたり、質問をしたりしてはいけない。

睡眠が妨げられ、催眠と化してしまうからだ。

ねぇ・・・、それにしてもこの寝言の内容は訳がわからなくもないぜ。

まさに、これって「トモノウ・ワールド」 じゃん!

生の中で選択しなければならない瞬間に出合う。

それはある意味ギャンブルと同じで最終的に幸せが転がり込むかどうかは神のみぞ知る、といった具合である。

何が正しくて、何が間違いでと言うことではなく、もっとタイムリーに物事を考えていく。

タイミングはとても重要で、出しどころを誤るとたどり着く場所は無くなってしまうからだ。

流行も自分の角度を持ってきちんと投げ返す。

世の中は何を求めていて、僕は何が表現したくて、うまく融合出来ればリスナーの幅も拡がるだろうし、新しいものも生まれる。

頑固爺さんのつもりもないので、テーマだけをしっかり見据えていろいろと試していくつもり。

自分の感じていることを表現する方法はたくさんある。

でもそれを心の中にしまい込んだままでは風が起こることはない。

それまでに培ってきたモノを自らのスケールをもって発表すればいい。

「愛」を表現するのは難しい。

それは人間にとって究極なのであると思っている。

世の中には無数のラブソングが存在していているのに、今もなお、人間は新しい「愛」を唄う。

幸せな愛の歌とは別に、奪ったり、奪われたり、衝突したり、傷ついたり、傷つけられたり、如何しておだやかに愛し合うことを学べないのだろうか。

幸せなだけじゃつまらない、と思う人間はわがままだ。

今日も祈りを込めた「新しい愛の歌」が生まれる。

かの裏側を見るようなマワリクドイ歌詞が、切ない切ないと云いながら並んでいる。

ラブソング・・・気づかれているかも知れないが、僕のオリジナル曲には「愛している」と言い切る曲があまり無い。理由は?

「本当に人を好きになったことがないんじゃあないの?」と誰かが言った。

そうなのだろうか?

僕のしてきた恋愛はいつも切なかったのだろうか?

少しも美しくなく、ドロドロとした人間模様、男と女の本質?

作家ですからね〜!どんなスタイルの曲も書けなければいけません。

でも全体を通して言えるのは、メッセージソングでないこと。

「俺も頑張っているから、みんな元気出していこうぜ!ヘイヘイ!」というのはないのだ。

かと言って、母親の子守唄と呼べるような優しい名曲もない。

青春を唄える訳でもなく、むしろ「何ちゅう曲だ?」と尋ねられるほど。

元気かい?東京。

もうこちらの生活にすっかり慣れ親しんでしまったね。

田舎にはない都会の錆をあちらこちらで見たりする。

表現をするという行為は、その自分の<存在の仕方>にある。

いつも揺れ動き、闘い、唇を噛みしめる。

こんなことでツッパル必要性は何処にもないのだが、吐き捨てるように曲に込める。

そういやあ、新曲を発表してないなあ・・・・。

モチーフはたくさんあるのだが、音として形になっていない。

ライブでは未発表曲も披露するが、ここのところ全くの新曲がない・・・・・。

そう、5月からは創作活動に入ろうと今、思った。

5月の柔らかい風を感じる軽快なテンポの曲と、甘い甘い「おいおい!病気か?」と云われるような極上のラヴソングを・・・・。

は自分の幼い頃の写真を持っていない。

現代はプロの一眼レフカメラもデジタルではあるが、1962年生まれの僕の時代では、まだB&Wの写真が庶民的だったのだと思う。

イーストマン・コダック社が35ミリのフィルムを作る前(そのフィルムを使えるカメラも同時に作ったのだが)は感光材料の湿板を撮影前に用意し、その場で現像するしか方法はなかった。

カラーのネガフィルムが普及するのもまだ後の話だ。

先日、僕の伯母に写真が無いという話をすると、僕の写っている物をいくつか貸してくださった。

その中の1枚である。

初めて目にする写真だった。

ここに撮られているガキどもは僕の従兄弟たち。一番小さいのが僕だ。

着ている物も髪型も、時代を感じさせる。

そして、記憶に無い事実をいろいろとイメージする。

それはとても楽しい。

対時間にREWもFFもない。何を持って生きるのか?

僕は眼を閉じて、自分に出来ることを考えた。

揺れていたのは、旋律と言葉、そして叫びに似た声。心の中を抉られる様な日であった。

1999年2月23日。

それまでにいくつもの曲を書き、愛だ恋だ、切ない寂しい、幸せ不幸せ、男と女etc.......。

自分の感じていることを表現していた。

僕は眼を開く。イエロー、マゼンタ、シアンにブラックのカラーを混ぜて、陽光のフィルターを通し、僕の心の印画紙に焼き付ける瞬間。

その悲しい旋律は、僕の心に永遠の記憶を残していくであろう楽曲へと刻まれる。

どうして?・・・・・僕はまた思ったりする。

ずっと妹との約束を果たせないままでいた。

思い出したくないのではなく、常に想っているんだよ。

 

瞼を閉じてみたら あなたの笑顔と温もりが
透き通る光芒から 身体へと差し込んでくる

生命れてやがて咲いた たくさんの人の祈りが
永遠の扉まで 精霊を導いている

   残された悲しみの 心の鐘が鳴る
   震える背中を視ていたあなたに 届いた花が濡れてしまう

漕ぎだすあなたは逝く でもいずれまた再会えるから
これからの夢の続きに 何を何を願おう

静かな気持ちさえも 包んだ遥かな環暈の中で
廻りだす旋律を わたしにだけ響かせて


This song is a tribute to my dearest CHIKA (1966~1999) ,
I always love you & beside you

 

遅くなってしまったけれど、春には見せてあげられるね。

僕の隣に特別席を用意して、あなたを迎えます。

 

うこんなに大きくなったのだから、歳相応に生きていくのが良いのだと、失念してしまったような想いとは裏腹に、最近は「恋しや、恋しや」と多忙の日々を恨めしく感じ、「疲れた疲れた、もう耐えられない」と言いながら去っていく若い女がいたりする。

その女は男に何を求めるのだろうか?

僕が僕で、君が君であるために、日付変更線の真ん中でいつもするようにお互いの心を確かめあっている。

結婚は終身保障の意味ではない。

ただ、世間で通用する約束手形みたいなものではある。

「デキチャッタのよ」

「あんた、手形持っている?」

「まだなの」

「じゃあ、すぐに手続きしなさいね」

人生の先輩の愛子は、楽を知っている。

「今どき女だからって、料理や裁縫が出来なくたっていいの!お金よ、お金」という愛子先輩に「私は愛が欲しいわ」と言うと「バッカじゃないの?愛なんて脆いわよ」とキツイ一言。

手形は株のようにお金にもなるし、セキュリティ・システムも付いているらしい。

メールではなく、大事な恋文を君に贈るために、僕は真昼間から君を抱く。

何度も消えて、何度も現れて、海と空は同じ色に染まってゆく。

清少納言さんも切ない切ないと、恋文をしたためて大きくなっていった。

「好き?」

「好き!」

「愛してるは?」

「愛してるよ」

「今、何しているの?」

「何も!」

携帯電話のメールって面白いようにこきつかわれている。

いったい何が解かり合えるというのだ?

「んじゃ、いつものとこで、待ってるよ」

「OK!」

といそいそと出かける誰かさん。

お化粧はいつものように地下鉄の中、

本来は人様にさえさらす行為ではなかろうに!

誰のために綺麗になりたいのだ?

自分と言う自由を勝ち取り、普通はこうだろ?という既成概念を捨てて、生きていく。

「ちょいとそこのおふたりさん、後姿までカッコいいわよ」

お互い、年齢が70歳は過ぎているであろう、素敵な老恋人 (*^。^*)

こちらにずっとずっと魅力を感じます・

ンガー・ソングライターのtaqeoが2004年1月10日に、アルバム『one page e.p.』を発表する。実はこの日は僕の誕生日だ。

僕は2003年の夏に自分のホームページを開設したが、それは内向的な性格によってなかなかアクションを起こさない自分を奮起させるという目的があった。

音楽生活をずいぶんと長くやってきたが、それはマイペースという意味ではない。

いつも傍に音楽があり、とても幸せに思いながら毎日を送ってきた訳だけれど、これを何らかの形にしたい、そしてやはり進行形でありたいと願ってのことだった。

本来からソングライター志望であった僕がシンガーというオマケを付けたことで、周りからはいろいろ言われたりしたけれども、個人的には一番良い選択をしたと思っている。

売るための音楽よりも、まず自分の中から出てくる言葉やメロディーを、出来る範囲内で表現をする。

発声出来る器官を持っているわけだから上手い下手いを別にして自分の思いを出そうと決めてのことだった。

Tomonochromeでの最初の目標はライブだった。

僕のサイトを見て連絡を頂いた大友裕二さんとの10年ぶりの共同活動が再開した。

大友さんはスタンスを変えることなく、自らを音楽の現場に置き活動を続けてこられて、今回のDaylightのバンマスも快く引き受けてくださった。

わかっていたことであるけれども、音楽を愛する心は自分同様に大友さんも同じなのだと、とても嬉しかった。

Tomonochromeも4ヶ月目を迎えるが、このサイトを通して、これまでにたくさんの方と交流が出来た。

新しい友人もたくさん増えたし、セッションにも出掛けた。その分、時間に追われ曲創りが延び延びになってしまっているけれど、今とても充実しているのではないかと思ったりする。

これも大友さんがらみであるが、taqeoというひとりのシンガーのライブでキーボードを弾かないか?という話だった。

taqeoのことは、以前からWEB上でアクセスしていたからおおよそどんな音楽を創作されているのか分かってはいた。

しかしまさか自分のところにプレイの話が出てくるとは思ってもみなかった。

最初は恐れ多いと迷っていたが、音楽家として大変魅力のある方だったので、演らせていただきます、と返事をした。

今日、初めてのリハーサルに参加。

5時間のスタジオワークの中で約20曲を流して演奏した。

僕はここのところ、きちんとしたバンド演奏をしていなかったので、そのブランクがあったことがとても気がかりではあったが、メンバーの皆さんに温かく迎えていただき、楽しく演奏できた。注意点の指摘をいくつか頂いたが、自分なりのアレンジをもう少し時間をかけて練り直すことが課題となった。

taqeoの音楽を言葉で表現するのは難しい。

普通、そういう紹介は、ジャンルなどで形容して例えば「ブラックミュージックの匂いがする、云々・・」なんて云ったりする。

その20曲の内容は様々なジャンル出てくるし、誰かを真似ているわけでもない。

タケヲはタケヲなのだ。

taqeoの創作する楽曲は、taqeoにしか表現できないのだと感じる。

世の中には歌が上手いシンガーはたくさんいるけれど、気持ちの表し方に魅力のない歌手が多い。(それをいう自分も同じだが)

taqeoは自分の思いをさらっと声にして唄ってくれる。

つい聴いてしまうシンガーなのだ。

出来ることなら僕は客席で聴いていたいなと思ったりしてしまう。

 

タケヲという光、タケヲという影

その絶妙なバランスが織りなす音楽がそこにある

正月は久しぶりに福岡へ帰った。

お忍びのつもりだったのだが、すぐに御用となった。

正直、面倒くさいなと思いながら出掛けて行ったのだが、そこには思いもしない旧友との再会があった。

右から西浩史、幼稚園の時からの幼なじみである。

彼は度々このトモクロでも紹介してきたが、現役オートバイレーサーである。

そして重大発表!僕に素敵なフィアンセ(16も年下なのだ)を紹介してくれた。

女性などには目もくれずひたすら走り続ける男だとばかり思っていたが、素晴らしいパートナーにめぐり合えて、「西クン&めぐみさん」幸多かれと祈ります。

次は友納勲なので飛ばして、

真ん中に吉武雄二

彼はTV番組製作の監督。

元旦までネパールの方へ撮影に出かけていた。

例のにわとり、スイートピーのバンマスだった奴だ。

彼とも古いつきあい。僕が音楽を最初に始めたきっかけは、彼のギターからで、僕にピアノを弾くように勧めたのも彼だった。

今の自分は彼あってのことである。

続いてその隣は15年ぶり再会の大場正博

小学校5年生の時、都会から福岡の田舎へ転校生としてやってきた。

彼にとっての僕は相当ないじめっ子だったらしい。

普通は避けてしまうものだが、それからも長いお友達でいられたのは何故?

彼もギターを弾いたのでバンドを一緒に演ったな。

最後に一番左が矢野和久

彼と僕は大学の時からの付き合いなのだが、「暗い男」のイメージがずっとしていて、今回のあまりのハイテンションに驚いた。

話をすると当時の僕は彼と行動を共にすることが多かったのだということを思い出した。

当然の事ながら、昔話に花が咲く!

学生時代の音楽の仲間であるわけだからバンドの話にも盛り上がりをみせ、この会合の後、吉武家へ向かった。

にこにこクラブのマドンナだった通称“たまちゃん”(現:吉武雄二夫人)との再会も嬉しかった。

愛娘、藍ちゃんと人生ゲームもやって楽しい時間を過ごし、懐かしいオリジナル曲も合唱したりした。

そう、藍ちゃんにお年玉をあげるのを忘れてしまったなあ。

オジサンたちがたくさん押しかけて、誰からもお年玉をもらえなかった次の日の藍ちゃんはさぞかし不機嫌だったりして・・・。

自分達はまだ若いと思っている連中ばかりだったので、気がつきませんでごめんネ!

そんな感じで久しぶりの集合に宴は夜中まで続いたのでした。

今年は良いことあるぜ!

皆それぞれに逞しい活躍ができますことを願っております。

もしも可能であるならば

あの日に帰ってみてもいいと思った

そして僕はまた目を閉じて、苦笑する

ポートレートに並ぶ眩しい男たち

いつまでも大事な OLD FRIENDS

間がとまってしまった腕時計が手元にある。

Eco-Drive、太陽電池で動く時計だ。

カレンダーの窓に4という数字が見える。

何月の4なのかは自分の記憶にあるから、太陽に当たらない日々がずっと続いていたことを物語っている。

冬の弱い陽の光の下に置いておくと秒針が動き始めた。

2004年を迎える今、そっと手にとってりゅうずを回転させる。

少しづつ、少しづつその日にあったことを思い出しながら日の足跡を見るような気持ちになる。

特別に何かあったわけでもないのに、それが妙に懐かしいような、切ないような、そんな時間の遠近法を楽しんでみた。

過去も未来も絶対時間の中にある。

僕は毎年一個づつ年をとっていくのだが、その時間たちは僕の脳の中にあるフィルムにマルチファイルとして重なっていく。

勿論、消滅してしまった記憶や勘違いをしたままの時間も存在しているはずだ。

改めてその時間の記憶に向き合うと、正確な時間など記憶に無かった。

進み始めた時間をもう一度戻してみたり、送ってみたり、そんなことの繰り返し・・・。

いつも見ていたのは時間ではなく、白と黒の色分けされた鍵盤だけだったのか?

そんな自分にラヴ・レターを送った。

とびっきりのプレゼントも添えてあげた。

2004年、自分が時間の中に居ることを再認識できるようなそんな1年にしたいと思っている。

ちゃんと御日様にも当ててあげなくちゃ!

きちんと動きますようにと。

多から上京してきたのが二十歳。

こちらへ来てから変化してしまったことは、あまり酒を飲まなくなったということ。

成人前だったから大きい声では云えないが、相当量の酒を飲んでいたように思う。

つまり騒ぐのが大好きだったわけ。

だからと言ってザルでもなく、当時の皆さんには大変ご迷惑をおかけしましたと反省しております。

理由はなんだろう?

確かなことは謎ではあるけれども、騒ぐのが嫌になってしまったようだ。

スナックで十八番だったジュリーのカラオケも今は恥ずかしくて唄えない。

気軽に声をかけていられたおネーちゃんもついつい遠慮がちになってしまう。

ここは東京!

九州の田舎とは訳が違う!

ナメラレンゴトシトカナね!

という思いが先走りしていたのか気取って都会を歩くのだ。

ところがミーちゃんハーちゃんで東京を探索していた頃は、原宿の地下鉄の切符を大事に取っていたりして!

やあ、お恥ずかしい!

渋谷のハチ公の前でピースして写真も撮ったっけ。

やあ、お恥ずかしい!

新宿アルタではB&Bのトレーナーも買ってしまったなあ。

ホントにお恥ずかしい!

これが田舎もんのすることである。

当時、クラブで演奏していたことがある。

あまり有名なところではなかったから、適当に弾いていればそれで済んだ。

プロが笑ってしまうくらいにお金を貰い、それでも生活費は楽器のローンやレコードに飛んで行った。

白いブーツを履いていた。

それは当時、ミュージシャンの勲章でもあった。

だから夏の暑い日でもそれを履きシンセを抱えて電車に乗った。

若さゆえ、いろんなモノが欲しかった。

しかし元々は借金の好きな人間ではなかったので欲しいと思ったものは我慢した。

その後、いろんな意味で自分が欠けていることを思い知らされる。

「東京はすごかぁ・・・・」

ある意味、心から音楽を楽しんだことは未だにないのかも知れない。

音楽をやればやるほど反省の多さが増していったけれど、やっぱり音楽から離れられないでいた。

「もう若くないのだから・・・・」そんなことを言われる年齢になったいた。

「愉しんでいたいから」と都合のいい言い訳を続け、それで今は愉しめているのか?

いつになったらボクはこの呪縛から解き離れられるのだろうか?

何のことはない、中学の時に独学で始めたピアノ。

音楽の前田先生の「トモノウくんは唄が上手だね!」のお世辞にも似たその一言でボクはここにいるのかも知れないと思ったりする。

いつの頃からか、人と会って話すのがあまり得意ではなくなった。

多趣味ではないし、話題性にも乏しいから自然に無口になってしまう。

酒を飲み午前様で帰宅してもピアノだけは弾いた。

夜中にいい曲が浮かんだとそのまま朝まで創作していた。

音楽は面白いな−−−−−

ボクはいろいろ考えることが好きなので時間を忘れてしまう。

でも判り易くそれを他人に説明するのは得意ではない。

だから音楽するの?

それは心に感じたことを伝えるためなのか・・・・。

きっと明日もそう思っている気がする。

成元年に今のマンションに引っ越してきたわけだから、ここに住み始めてもうすぐ16年目になる。

実家は福岡市内の西で今は両親が住んでいるのだが、僕が都落ちしても帰る場所は一応あるようだ。

僕は来年早々に42歳を迎えるわけだが、両親は若い頃に僕に生命を授けたので同年代から見るとまだ若い。

といっても還暦は過ぎているが、おふたりとも健在である。

数年前、実家を増築している時に懐かしいものが出てきたので東京へ持ち帰った。

今の場所に16年も住んでいるのだからいろんなものにフイと出逢うのも珍しくはないだろう。

A型なので整理はする方だが、Indexを付けている訳ではないので一応まとまって、あちこちに置いてあるという感じである。

音楽の作業場に2部屋を使っているが、正直行ったり来たりだ。

3LDKの広さはあるものの物が多い。

やはり楽器だけを置いておくスペースが欲しいところである。

今は唯一の和室が楽器置き場になっているので、人を泊める時にお客様はこの倉庫みたいなハードケースと洒落た和が混在する部屋に寝なければいけない。

それでもグランドピアノを買いたいと日々思っているのだから、そうなるともっと広いところへ引越しということになるのだろう。

「スタジオば造っちゃるけん、帰って来んね?」

と父親が言う。

父は昔ドラムをやっていたらしい。

今は勿論叩けないだろうが、父の特技の中に謡いがある。

詳しくは勉強不足だが、能楽の舞の後ろで「高砂」なんかを謡うあのパートだ。

お祝いやお悔やみの席で何度か父の声を聴いた。

ソウルミュージックだよ!

こんなに上手で同じDNAを持ちながら、今の僕のヴォーカルは使い物にならないという落ち込みを増幅させる。

話は戻るが、僕が中学生の時に「Sweetpea」というバンドを組んでいたことは、このサイトの[TOMO]のページでも紹介されている。

ピアノを弾くきっかけになったバンドだ。

少年の淡い憧れは華やかな芸能界へ向いていたのだろう、オリジナル曲と称して友人にカセットテープを販売したりしていた。

それを購入していただいた方にはもれなく「SWEETPEA 新聞」が付いていたのである。

義理で買っているのにそんなもの要らない!

と皆は思っていたに違いないが、読み返すとこれがまた面白かった。

袋とじの普通紙5枚、計10ページの手書きのコピーは紙が焼け、破れたところに貼られたセロハンテープは黄色に変色していた。

時の流れにしてみれば、あまりにも昔の話だ。

このウェブサイトもそうだが、僕は昔からこんなことばかりしていた。

小学生の時は猫が好きだったこともあり、ガリ版で「キャット新聞」というのをやはり配布していたことも、今思い出した。

こんなふうに創るという作業がとても好きで時間を忘れ、没頭してきたように思う。

今、RELAX BOXのA嬢との共同作業で、ちょっとした小説を書いている。

勿論、恋愛ドラマ仕立てになるが、僕の見た風景とA嬢の見た風景をお互いのサイトで個々に書いていく。

その絶対時間を同じにして、フィクションではあるが、あるポイントまで、文章で綴ってゆく。

互いに知らない者同士がきっかけでめぐり逢うのだが、それが彼女であり、彼というわけだ。

表現の仕方が違うから男性側と女性側の考え方が如実に見えてくるかも知れない。

面白いことに、出てくる台詞だけが同じということになる。

彼女が「夜景がきれいね」と純粋に思い、そんな至福の時間を楽しんでいるのだが、「そうだね」と彼は反射的に答えながらも心は他へ行っていたりする。

本音は両方のページを見ると面白いという仕掛けだ!

つまりWEB SITEのタイアップみたいな感じだが、きっと楽しめるのではないかと思っている。

田美奈子師匠の「チャイニーズ・スープ」を聴いた時には、ユーミンとはまた違う衝撃だった。

デビュー前は、はっぴいえんどのライブ、岡林信康、頭脳警察などでもキーボードを担当していたというから驚き!

随分長いこと音楽に携わって来られた方なのだ。

この頃は、プロデューサーの意向によりシンガーとして売り出そうとしていたらしいが、本人はそれに断りを入れる訳ではなく、契約期間だからと全て言われるままに仕事をこなしていたという。

それが過ぎると、きちんと音楽との向き合い方を模索して、自身で音楽家としての道を歩いてゆく。

でもね、恥ずかしながら、美奈子さんを聴き始めたのは実は1995年からである。

FMラジオで、発売前のシングル「Beauty」を聴いて、気になった。

調べてみるとリリースされるアルバムに達郎がコーラスとして参加しているらしい。

そう言えば、達郎さんの作詞はほとんどこの吉田美奈子という名前だったなあ・・・

持っているレコードを見るとコーラスでも参加していらっしゃるし、ユーミンの初期のアルバムにも名前があり、ムムム?と妖怪アンテナが立ったのである。

それと以前から好きだったWhat is Hip?のベーシスト、岡沢章さんがクレジットされているではないか!

それで、発売日にEXTREME BEAUTYを購入!

部屋へ戻ってCDの再生ボタンを押して、ボクは・・・

腰を抜かした。いやマジで!

他のアルバムも聴きたくなって次の日には山野楽器へと走り、そこでまた衝撃!

アルファレーベルの時代のアルバムはあの松木恒秀さん、岡沢章さん、渡嘉敷祐一さん(キーボードは野力さんではなかったが)というあのWhat is Hip?の面々ではないか!

もう震えてしまった・・・・有り金叩いて買えるだけ買い!

どうして達郎フリークの大友さんは今まで教えてくれなかったのか・・・、知らない私が馬鹿なのか・・・そんなことまで考えていた。

それからニコニコしながら以前の美奈子さんのアルバムを揃えていったが、Bellsだけが手に入らない。

御茶ノ水の「ジャニス」で見つけた〜!とCDを手にしたのだが、それはレンタルCDであった。

「失くしたり、傷つけたりしたらそれなりのオトシマエつけていただきますぜ」

店長にそう言われ、大事に扱って貸していただいたのだけど、ここでの音楽がまた凄かったのだ。

すっかり美奈子マジックにかかってしまったボクは、その半年後に難波弘之さんとのピアノデュオで見事に殺された。

今もその魔法は解けぬままのトモノウでございます。

何が良いのだ?と他人に訊かれることもあるが、ワカラン奴に説明などしとーない!

兎に角、ボクのハートに見事に刺さった吉田美奈子さんは、神さまです。

F漫画作家、巨匠の「星野之宣」の作品が好きだ。