What Is This Thing Called Love ?
君と出逢って、忘れていた情事の感覚を思い出した。
まだ抱き寄せてもいないのに甘いくちづけをしたように身体は火照るのである。
Strong, passionate affection or desire for a person of opposite sex. 英英辞典には、「異性への強い、熱烈な愛情または欲望」と出ている。
一目惚れというものがあるが、それは一瞬の内に相手をイメージして好きになってしまうことでもある。
そのイメージというのは普段から自分の中に創られていて、そこから少しでも外れると壊れていくはずなのだが、その恋の魔力にかかってしまうと冷静さを失うものなのだ。
つまり、許してしまうのである。
人間と人間が付き合うのに、この許すと言う妥協行為がどれくらい出来るのかによって愛への深さが測れたりすることに変貌してしまうという解答が出される。
ということは、我が強くては、恋愛は向いていないのか?
兎に角、ふたりは当然のように快楽を味わった
お互いにどんな過去があろうとも、相手が何を考えているのか、今は想像がつかなくても淫らな気持ちが押さえられなくなっていく。
知らない者同士というのは新しい自分を産むのである。
しかし時間は重ねるたびに今度は見えてきた性格を唇で舐め始める。
そもそも人間は熱しやすく冷めやすい。
特に男と女はある程度の距離を超えるとバランスが崩れていくものなのかも知れない。
女は私に思いっきり気楽さを求めてくれている、つまりそれは自分を鏡に映すということに似ているから私も同じ気分でいられる。
「あなたは本気で人を愛したことがあるのかしら?もしくは愛されたことは?」 妻は今でも私を愛していてくれるのだから、それはそれで惚れた弱み、バランスが良いのだと問題なしに思われるだろうが、すでに流れた月日は女を持ち合わせているかどうかは疑問に思う。
しかし、夢は覚める。
突然、何の前触れもなく夢から引き摺り降ろされるのだ。
私は洗面所へ立つふりをしてその場から離れ、物陰で妻に電話を入れた。 「遅くなって新幹線に乗りそびれた」
「大丈夫?じゃあもう一泊ね。あなたは疲れていないかしら?」
妻は私がまだ大阪にいるのだと思っている。
「あぁ、明朝の早いうちにそっちに戻る」 世の中の離婚率は相変わらず上昇しており、性格の不一致や相手に対しての不平不満が募り、ついにはハンコを押されたりする。
私の浮気がばれたりしたその時、「すまなかった、俺を見捨てないでくれ」と妻に縋ったりするだろうか?
たぶん子供が母親に叱られている様子に似ているような想像がつく。
しかし私はまた同じ不注意を仕出かしてしまうだろう。
何十年もこの性格で生きてきたものを一変出来るはずはないのだ。
例え出来たとしても、それは我慢して、注意して行動しているわけだから、余生は大変疲れるに違いない。
永遠の愛は理想ではあるけれど、それはきっと醒めるのだ。
あの女ががいたカウンターへと戻る途中でテーブル席では女性ふたりが会話をしているのが耳に入った。
「こんなはずじゃなかったの」
と友達にペラペラと正当化するように大きな声で喋っている。
その友人はその話を鵜呑みにして、
「あなたならきっといい人見つかるって!」
と慰めている。
本当に一方的に男が悪いのだろうか、もしかしたら自分の性格を直した方が良かったりしないか?
寂しさを紛らわすには、私のように、あの女のように、知らない相手を見つければよい。
しかし、それは繰り返されるということを前提にして。
あなたの昔の彼より少しだけバランスが悪くなくて、
「以前に比べれば今の方が幸せね」
とやっぱりそこから妥協が始まっているのだ。
教会で永遠を誓うのは、健やかなる時も病める時もちゃんと妥協してやっていけるの?と尋ねているようなもの。
「そんなことわかんねーよ」
と神父さんに言ってやればいい、と思ったりするが、やはり人間は恋愛に酔いしれている。
結婚に必要なものは、妥協する知恵と性生活の知恵で、“愛している”の愛にはちゃんといろんな形がある。
自分の子供を愛しているそれは、結局自分自身を愛しているのであって、他人の異性とはまた違うはずだ。
しかし、ここに来て自分を愛せない人間が出てきているのも事実。
生きることに臆病になっている奴らがいる。 どうせ人生なんてそんなものという定義づけをしてしまったような・・・・。
これは妥協とは異なるはずなのだが、混同してしまう人間が多い。
夢っていうものを言葉にすると、どうしても照れてしまうが、要は愛に対してハングリーな気持ちがどれくらい備わっているかに他ならない。
夢を思い描くことは、綺麗ごとで見たりしか出来ないものなのだろう。
しかしそこにはいろんな憎悪や努力やそれこそ妥協なども存在するのであって、そこで夢やぶれたり!とヨボヨボになってしまう人間も少なからずいる。
また、夢を掴んだと兎のようにいい気分で眠っていても、その中で夢が悪夢になってしまう人だっているのだ。
人間国宝と呼ばれている方は、努力を怠らない。
頂上に登りつめた時にはそれでも更に上の架空の頂上を目指しているのである。
追伸:
目が覚めると、ホテルの部屋に彼女の姿はなかった。
私の中に存在した彼女は本当に実在した人だったのか、
夢で出逢って、ただ私の想像上の記憶の女だったのか、
どうしても思い出せないでいる。 |