|
写真は光がなければ何も出来ない。 たとえ辺りが真っ暗でも夜空の星の瞬きや野生動物の輝く眼があれば、光るそれを写真に残すことが可能となる。
写真には光を取り込む量を調整するものに、「レンズ絞り」と「シャッタースピード」がある。光は何枚ものレンズを通してフィルムへ到達するのだが、その光を人間の眼の虹彩ように開いたり閉じたりする役割をするのが「絞り」だ。つまり大きく開けばたくさんの光が入ってくるし、小さければほんの少しだけしか入ってこない。あとはそんな光を通し続ける時間で、どれだけシャッターを開いたままにしておくのか、つまり「シャッタースピード」ということになる。
バランスのいい色彩や調子を得るにはこのふたつを使って適正な露光を見つけるのだが、撮影する環境の条件及び被写体によって様々なパターンが出てくる。その組み合わせが写真の醍醐味でもある。
写真は一枚のスナップであっても、それはリアリズムと呼んでいい。そのたった一枚の画像にモノを語る視覚的要素があれば、そこから視る側のイメージが湧きあがる。
その舞台は絶対時間の中の瞬間であり、もう二度と戻ってくることもない。光そのものでさえ、姿や形を変えているのだ。それはある意味、浪漫でもある
それを捕らえる事が表現であり。個性となる。勿論、美術的な要素やイメージ、カメラアングルと被写界深度、バランスパターンなど四角のフレームに如何収めるかということを考慮して撮影していかなければ物語のある作品は生まれてくるものではない。
デジタルが当り前になった現代の写真、特別なこと知らなくても良い写真は撮れますよ、とすべてがプログラムされているが、これは失敗の少ない無難な写真が撮れますよということ。
勿論、デジタルを否定するつもりは毛頭ない。要は使い方の構えをしっかり持って便利な道具として使うと写真はよりいっそう愉しいものとなる。
そして内面的な話をすれば、音楽同様に正解はないのだから、クローズアップしたい部分をわざと外してみたりすることで、面白いオリジナル作品に出逢えるかも知れない。
写真に係わって四半世紀のボクは思う。カメラのデジタル化が進む中、写真がだんだん安っぽくなっていくような切なさはある。
ステキな想い出も、懐かしくて哀愁漂う何かも、そして時間という背景が作るセピアさえもだんだん遠のいてゆく気がするのは可笑しいだろうか。
時代のシャッタースピードが速い分、人間の心のFナンバーは開放を忘れ、焦点以外の被写界深度も浅くぼやけている感じがしてならない。 |